| ●共用品・共用サービスの思想とは?● | ||||
| −ヒューマン・スタンダードの提唱− | ||||
![]() 世界貿易センタービル 2001.9.11 |
「ユニバーサル・デザインとの違い」でも触れたとおり、ユニバーサル・デザインの根底には、多民族・多宗教国家アメリカの文化的社会環境を背景にして、西洋思想的な価値観が存在します。 これに対し「共用品・共用サービス」には、東洋思想的な精神的価値観が存在し、それを根底としています。 《「目には目を、歯には歯を…」の闘いの遺伝子の反作用》 主に狩猟民族の伝統文化によって構成される西洋社会は、彼らの遺伝子DNAの中に闘争心が刻まれています。彼らは、狩猟・戦いに関しては生まれながらのプロであり、そのことは社会営為の基本常識なのです。 昨今のビンラディンVSブッシュ(イスラム過激派VSキリスト教自由主義)に見られるように、「目には目を、歯には歯を…」との教えを受け、「目は目」「歯は歯」と分析し、分離させて考える科学的分析思考が、彼らの根底にあります。 この人間の本来的な姿ではない「闘い」「分離」の反作用として、イエスの愛と許しの教えや、バリアフリーの運動が必要とされるのです。それゆえ一神教を主とする西洋社会の中に、バリアフリーやユニバーサル・デザインの考えが出現してきました。 ユニバーサル・デザインとは、それが昇華なのか分離なのかは別として、バリアフリーの同一延長線上に位置するものであり、顧客市場経済に基づいた合理主義的な発想と運動なわけです。 《「色即是空、空即是色」の調和的遺伝子の目覚め》 ひるがえって、ユニバーサル・デザインとほぼ同時期にわが国で始まった「共用品・共用サービス」は、農耕を基盤とし、自然との共存を主眼とする多神教共生的な東洋精神、もしくは日本の和の精神が無意識的根底にあって始まったものです。 それは「目には目を、歯には歯を…」の闘いの思想ではなく、般若心経でよく知られる「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」の思想です。東洋精神で感じれば、目も歯も同じ人間ではないかという想いが、東洋や日本人の遺伝子DNAの中には眠っているのです。 もう少し、具体的に言いましょう。 「身障者」「健常者」と分けて対応する発想は、極論すれば西洋的な科学的分析思考から生まれます。明治の文明開化と戦後の日本は、そういった西洋的科学思考を是としてきました。 しかし、今日の癒しブームや環境問題を見ても分かるとおり、精神的・環境的な共生思考が現代社会には必要とされています。日本人が持っている和の遺伝子が目を醒ましたのです。そこから「共用品・共用サービス」の運動が始まったと言えるのです。 《ある面、誰もが身障者、肉体的な一部のハンディだけで判断はできない》 日本人や東洋精神から見れば「身障者」「健常者」と分けて接する必要はありません。「身障者」と言われる人々の心理から見ても、「身障者」だからと不必要な手助けや、憐れみの行動、ましてや差別の目を求めてはいません。普通に自立して人間として生活していければいいのです。 実際のところ、何をもって「身障者」「健常者」と分けるのでしょうか? 単に「見る」「聴く」「触る」などの肉体的な五感の一部や、身体的な一部のハンディだけで、本当に身障者といえるのかということです。案外「身障者」と呼ばれる人々のほうが、「健常者」と言われる人以上に、障害以外の他の五感や、第六感(直観や直感)の類が発達していたり、精神面で優れていたりするものです。果たしてどちらが「健常者」なのでしょうか? 部分部分を見れば、誰もが障害者であり、誰もが健常者なのです。 《「共用品・共用サービス」はヒューマン・スタンダード》 高齢化社会の今後にあっては、誰がいつ介護が必要な身体になるか分かりません。それでなくとも人はどこか不完全であり、誰でも多かれ少なかれ何らかの”障害”といえるものを持って生きています。それが通常の人間です。外見的な一部分だけで「白だ」「黒だ」「赤だ」と一面的に分析・分離して特定できるものではありません。 「身障者」「健常者」「高齢者・妊産婦」等々関係なく、人間である以上、誰もが分け隔てなく使いやすい便利なものが「共用品」であり、分け隔てなく接客され利用できるサービスが「共用サービス」です。 このことを知るとき、誰もが便利に使える「共用品」とは、「ヒューマン・スタンダード」だということです。すなわち「共用品こそが本当の意味で一般品」なのです。新しく始まった21世紀は、そんな「人にやさしい共用品・共用サービス」の時代を迎えているのです。 |
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![]() 聖徳太子「以和為尊」 |
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![]() 車椅子バスケット |
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| written by S. Mitoma 2002 | ||||